「先生」は愛すべき存在?
昨日、今年もベトナムに行くかも知れないという話を書きました。
去年の訪問で知り合った現地の学生Tさん。
知り合ってすぐなのに、実家に招待してくれ、
家庭料理をご馳走になりました。
昨日話しているときに、
ご両親が私のことを好きだと言っていると言われました。
「先生がまた来たら、ぜひ家にも来てほしいって両親が言ってます。先生が好きだそうです。」と言います。
去年、お邪魔してご馳走になっただけで、
私は何もしていません。
とてもとても小さなプレゼントを持っていきましたが、
それも大事にとってあるとのこと。
ご馳走になったお料理に比べたら恥ずかしいぐらいのものですが、
まさか招待いただくと思わなかったので、
そんなものしかありませんでした。
ベトナム語で話したのも「カムオン(感恩)=ありがとう」だけで、
おそらくこれもご両親に言うには失礼なレベルの表現だったかも知れません。
でも、ご両親は私のことを気に入ってくれたと伝えてくれました。
私が素晴らしい人間だから?
いいえ。
昔の日本もそうだったのだと思いますが、
ベトナムでは教師=尊敬すべき存在、愛すべき存在なのです。
先生という存在はアイドルみたいだと、Tさんがいっていました。
憧れの存在ということなんでしょう。
それが高じて???
身長が低いと師範大学の教員養成過程には入れないとも聞きました。
(入れる大学もあるそうですが、わざわざそれをアピールしているとか。)
尊敬すべき存在なので、
背がある程度高く、カリスマ性がないといけないということらしいです。
教師といっても、
ご存知の通り私は単なる語学教師です。
学生たちの人格形成に影響を与えるような存在ではありませんし、
学生たちの未来を変えるような大それたこともできません。
学生とは大人同士、対等な立場で、単に語学を教えるだけなのです。
それでも、海外の学生の親御さんにはよく感謝されました。
アルゼンチンでも、内モンゴルでも、大変感謝され、歓迎を受けました。
「教師は二番目の親」というような言葉があるそうで、
親の次に大切な存在なのが教師なんだそうです。
日本にはありませんが、
ブラジルにも、ベトナムにも、お隣韓国にも、中国にも、
「先生の日」というものがあり、
その日は学生が教師に感謝の気持ちを伝えます。
もう15年も前になりますが、
私が初めて韓国に行ったときにもった違和感というのか、
「私のことをよく知らないのに、最初から愛されている」
ような不思議な体験を思い出しました。
大切にしていただけるのは大変ありがたかったものの、
それは私の人間性からではなく、教師という肩書きからだったのです。
今は、ずいぶん変わってきているようですが。
ベトナムも、何年かしたらまた違ってくるのかも知れませんが、
現時点では、先生はまだまだ尊敬すべき存在のようです。
自分が尊敬に値する人だとは思えませんが、
少なくとも、学生たちをがっかりさせないように、
頑張りたいと思います。。。