マさんの日記

失敗ばかりする旅好きの私の雑記帳です。海外の方との交流についても書きます。

「ありがとう」の重み

ここんとこよく登場するアラブ人Rさんとのやり取りからの記録です。

 

Rさんは、15年ぐらい前に来日してずっと日本に住んでいます。

日本人相手に商売をしていて、頑張っているのですが、

今年に入って国のお父様が亡くなったり、今度はお母さまが倒れられたりと

不運なことが続いています。

 

そのため、ここのところ笑顔も少なく、ため息ばかり。

見ていて、こちらも辛くなります。

 

さて、そんなRさんに、仲良しのKさんという日本人女性の知り合いがいます。

KさんはRさんと数年来の付き合いだそうで、先日Rさんが紹介してくれました。

見ていると、二人は楽しそうに冗談を言い合ってとても良い関係のように見えました。

 

ところが、後日RさんにKさんについて話したところ

「喧嘩した。もう会わないかもしれない。」と言います。

あんなに仲良さそうにしていたのに?冗談とかじゃなくて?というと、

冗談ではないとのこと。

 

何があったかというと、

Kさんは、Rさんのお手伝いをしてくれているが、

そのことを何度もアピールするというのです。

Rさんは、お世話になっていることは分かっているが、

毎度毎度、そのお手伝いに対してお礼を言いたくないと言います。

理由は、そのお手伝いというのはありがたいが、そこまで大きなお手伝いではないと。

それに自分だって手伝ってあげているが、自分はお礼を言えといったことはないと。

 

なるほど。

 

私が思うには、

Kさんは、決してRさんに本気で感謝の気持ちを表せと言ったのではないと思います。

本当に大きな手伝いをしている自覚があるなら、

きっとそんな恩着せがましいことは言わないと思うのです。

 

小さなお手伝いだからこそ、逆にそれをコミュニケーションのきっかけとして、

冗談のように話したいのではないかと思うんです。

でも、家族のことなどで精神的に余裕のないRさんには、それが我慢できず、

とうとう「じゃあもうお手伝いはいらない」と言ってしまったそう。

 

あらら…。

 

Kさんからしてみたら、簡単でもいいので、

お礼を言ってほしかったというのもあるかもしれません。

 

日本では、小学校の時から、いえそれ以前から習いますよね。

「人から好意を受けたら、ありがとうと言いましょう」と。

小さなことでも有難うというのは、日本では気持ちのいいことです。

「すみません」「ありがとう」などはコミュニケーションの潤滑油です。

 

でもこれ、ところ変われば・・・なんですよね。

Rさんの国もそうですし、私が4年ほど住んでいた韓国も、

そしてそのお隣中国もそうでした。

 

「こんな小さなことでいちいち有難うという方が変」と。

「ありがとう」や「すみません」は、本当に心から感じているときに使うもの、と。

仲良し同士なのだから、小さな助け合いは当たり前。

当たり前なのにいちいち言わないで、というのです。

 

外国人相手に20年以上仕事をしている私も、頭では分かっていても、

やっぱりいまだに「すみません」と「ありがとう」を多用しすぎて、

友だちや学生に「マさん謝りすぎ!!」と言われることもしばしば。

彼ら曰く、そんなに謝罪や感謝を多用したら、

その価値がなくなるじゃないかというのです。

本当に大切な時のために取っておけと。

 

これ、どちらも間違ってない!

ただ、どちらも、相手がそういう考えだということを知らないので、

また、Rさんは自分に余裕がないのでさらっと流せなかったんですね。

 

精神的に余裕のないRさん。

国のことが心配だけど、帰りたくても帰れません。

何かできることがないものでしょうか…。