マさんの日記

失敗ばかりする旅好きの私の雑記帳です。海外の方との交流についても書きます。

人生の終わりについて考える

昨年、友人を通じて、とある末期ガンの方と知り合いました。

 

日本人との結婚をきっかけに、20年以上日本に住んでいる外国籍の方です。

 

離婚されており、お子さんともほとんど会っていないため、ほぼ身寄りのない状態ですが、

日本のほうが安心して治療が受けられると、日本に残ることを選ばれました。

 

更に、病院は嫌いだからと、現在は自宅で訪問看護を受けておられる状態です。

病院は、監獄のようだとのこと。

 

20年来のお付き合いのある同郷のお友達(私の友人)が泊まり込みでお世話をしていて、

会いに来てやって欲しい、と言われたので二度ほどお宅にお邪魔しました。

 

そこで初めて、訪問看護や医療機器を(介護ベッドや酸素ボンベ)取り付けたりする様子をそばで見たのですが、

その連携の素晴らしさや対応の温かさに感動しました。

そして、改めて色んな方が関わっていることも知りました。

 

一方で、泊まり込みで看病している私の友人のことも心配になりました。

会社に行くにも一時間かけて通うことになり、

仕事でヘトヘトなのに、帰ってきたら介護をします。

そして、ゆっくり寝られないまま、また仕事に行くのです。

こんな生活が、もう一月近くになりました。

 

訪問看護の方は、一人の患者のところにも行っているのだから、必ずしも誰かがいないといけないわけではないとおっしゃっているのですが、

友人が放っておけないようです。

(そしてお友達も友人にいて欲しい)

 

放ってはおけないけれど、自信がないので、

病院にお世話になりたいと友人が看護師さんにお話しすると、あくまで患者の意志を尊重する必要があるとのこと。

つまり、患者が自宅を希望する限り、

 

(1)友人が無理して介護する

(2)友人が介護を諦めて一人で訪問看護を受けてもらう

 

のどちらかしかないそうです。

(または、友人がお友達を説得する)

これは、友人には酷な話だと思いました。

(2)だと、何かあったときに必ず自分を責めるはずです。

看護師さんは、誰かいてもいなくても、何か起こるときは起こるのだからとおっしゃっていましたが、

そう簡単に割り切れることではないと思いました。

 

私も独身で、子供もおらず、おそらく一人で人生の終わりを迎えることになるはずですが、

一番に考えるのが「人に迷惑をかけたくない」ということです。

これは前から思っていましたが、今回のことで更にその気持ちが強くなりました。

 

また、私の両親も、今のところはまだ何とか普通の生活が送れているようですが、

いつ何が起こってもおかしくない年になってきました。

両親はどんなことを望んでいるのかも知りたいと思いました。


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京都の平等院にて