マさんの日記

失敗ばかりする旅好きの私の雑記帳です。海外の方との交流についても書きます。

20年ひと昔

もうすぐ、ドイツに出発するマです。



ドイツは、学生時代だった20年前、モラトリアムで10ヶ月ほど滞在したのをはじめ、


2007年、2014年、2015年と全部で4回ほど行ったことがあります。

そして5回目の今回、「旅行」ではなく、20年前のように「滞在」をする機会がおとずれました。


20年前(1996年)のドイツ滞在で「将来は日本語教師になってドイツで教えてみたい!」という夢ができました。


日本語教師になるのはそこまで難しくなかったのですが、

ドイツで教えるというのはなかなか機会がおとずれませんでした。

まあ、努力もしていませんが。(笑)



しかし、今の職場で働くようになってから6年が経とうとする今年、とうとうチャンスがめぐってきたのです。


わーい。



ところで、20年前の記憶を手繰り寄せてみるといろんなことが今と違っているなあと思いました。


ちょっと思い出してみましょう。


まず、当時は貨幣がマルクだったこと。

だから、近隣を旅するたびに不便な思いをしていましたね。


それから、当時はメールをあまり使ってなかったこと。

一応メアドはありましたが、みんながみんな使ってなかったので、限られた人としかメール交換できなかった記憶があります。


だから、日本にいる家族や友達とは、手紙や国際電話で連絡してました。懐かしいな。


今でも忘れられないのが、イタズラ好きの男友達が、日本の情報がない私に


「猿岩石という新種の岩が発見されました」と書いてきたこと。

なんのことだかサッパリでしたが、日本に帰って、そういうお笑いコンビがヒッチハイクで有名になったことを知りました。

他にもSPEEDという小学生(?)の歌手が彗星のごとく現れたことも教えてくれました。懐かしいな。



今ならネットが普及しているから、

日本の芸能ニュースもすぐに分かるでしょうね。


あとは、20年前は大寒波の年でした。


今回は冬は滞在しないので比べられませんが、当時はとても寒く、憂鬱になったのを覚えています。



20年も前のことですが、今でもはっきり覚えていることが他にもいろいろあります。


フランス人の美人のともだちが、かなり仲良しになったのに、ずっと敬語で話すので「なんでタメ口で話してくれないの?」と聞いたら、

「だって、タメ口だと動詞の活用が難しいんだもん」と言われて衝撃だったこととか(笑)


最初は韓国の留学生がかなりたくさんいたのに経済危機に陥って、目に見えていなくなったこととか。

でもお金持ちのひとは桁違いでしたね。


買い物のたびに

「どの製品が一番質がいいかな?」といいながら、いつも一番高いものを買っていた某企業のトップの娘とか。


日本が好きだったらしく、ひらがなとカタカナが混ざったかわいい日本語のお手紙をもらいました。


懐かしいなあ。

でも、残念なことに、当時はメアドを持たない人が多かったため、大半の人と連絡できなくなりました。


今でも繋がっているのは、私のドイツで初めての友だち、シンガポールのDさんくらいかな。


よく一緒に旅行にいきました。

あるとき、オーストリアを旅行中、彼がずっと私にウインクしてもぞもぞするので

私のことが好きになったのかと思っていたら、なんとなんと私のジーンズのチャックが開いているのを教えてくれようとしていただけでした!!

(20年前からドジだったわたし。)


そんな彼、なんといまでは、外交官になったみたい!Facebookで繋がってますが、なんだか遠い人になった感じてす。


まあ、そんな感じでいろんなことがあった1996年でした。


2016年は、どんな半年になるでしょうね。


おっと、その前に、準備!準備!